10件表示 以前ののコラムはこちらから

30

8月

2010

天竹神社の棉祖祭

天竹神社の棉祖祭    天竹町

 

 

 天竹神社の棉祖祭は、綿を伝えた新波陀神の祭礼で す。この祭りでは、海を渡って伝えられた綿にちなん で船みこしが担がれ、古式ゆかしい「綿打ち」の儀式 も行われます。

 


続きを読む

18

8月

2010

寺津城と金剛院  

寺津城と金剛院  <寺津町>

 

 寺津城は西条吉良氏の重臣として栄えた大河内氏の居城で、永正年間(一五〇四〜 二一)に築かれたといわれています。大河内氏は、江戸時代には幕府の重職に任ぜられて大名となり、十三代の久綱からは松平姓を名乗りました。

続きを読む

15

8月

2010

元石炭商石頼商店

元石炭商石頼商店 <平坂町>

 

 西三河の貨物の集散が盛んで、全国への輸送の拠点 であった平坂湊は、明治十五年当時では出入りの船数二千隻と三河の主要な港の一つでした。この港を利用 して営業を始めたのが石炭商石頼商店です。

続きを読む

10

8月

2010

八ツ面山公園

八ツ面山公園 <八ツ面町>

 

 大小二つの山からなる八ツ面山は,市街地北東の平野の真ん中にそびえています。かつて雲母を産出して いたことから雲母山とも呼ばれ、西尾のシンボル的な 存在です。また、大昔、弥五郎という大男が土を運んでいたとき、肩に担いだてんびんから土をこぼしたことによってこの二つの山が出来たという伝説が残っています。


続きを読む

25

7月

2010

西尾の御殿万歳

西尾の御殿万歳 <上町>


 新春を祝う三河万歳は、西尾の城下のみでなく江戸の春を彩る風物詩の一つでした。三河万歳で総称されますが、西尾の万歳は玄関先でなく座敷の中で舞うことから御殿万歳と呼ばれました。万歳は、大紋に長袴、頭に風折烏帽子(現在は立烏帽子)を着けて扇状の中啓を手にした太夫と、素襖の姿に半袴、頭に侍烏帽子を着けて鼓を打ち舞う才蔵が、座敷の床の間を背に年頭の祝調を述べるものです。

続きを読む

13

7月

2010

西尾城址

 西尾城趾 <錦城町>

 


 六万石西尾城下のシンボルである西尾城は、市街地の南西端にあり、本丸表門付近に「西尾城祉」の標石が建てられています。現在では、本丸のわずかな部分に昔の面影がしのばれるのみで、うっそうとした木々に固まれた中に、西尾城主であった土井氏、三浦氏、松平氏の名前を刻む燈篭が立ち並び、城内鎮護の神社である御剣八幡宮の槽皮葺きの古い社を見ることができます。

続きを読む

08

7月

2010

米津の川まつり

米津の川まつり <米津町>

 

 毎年八月十五日の夜、矢作川の米津橋下流で戦没者 と水難犠牲者の霊を慰めるために行われます。

続きを読む

03

7月

2010

貝吹のかぎ万燈

貝吹のかぎ万燈  <貝吹町>

 

八月十四日の夜、市東部の万燈山に浮かぶ火線は、 その形が先の曲がった道具である“鈎"状に見えるこ とから「かぎ万燈」と呼ばれています。三百五十年前 にはこの行事は既に行われており、その由来として、 浅井千坊と須美千坊との戦いによって戦死した僧兵が 山頂の古塚に祀られ、村人がその霊を供養するために 百八の芝薪を灯したのが始まりという説が伝えられています。

続きを読む

28

6月

2010

御橿割

御橿割 室町

 

 室町神明社の秋祭りは、稲の収穫期を迎え豊作と家内安全を祈願する農業祭です。その神事の後に行われる素朴な行事は、東海地方では例のない珍しいもので、 「御橿割」または「御鉢割」と呼ばれています。江戸時代末期には行われていたとされ、古式のままに今日まで伝えられています。

続きを読む

26

6月

2010

弓取川の閉塞

弓取川の閉塞 小焼野町


 矢作新川が開削される前の矢作川下流は、小島町城 山付近から始まる川(地名をとって二ケ崎川という) と、現在の矢作古川(竜宮川) の二つの川が流れ出て 江原町で合流し、小焼野町以南では弓取川となって福地地区の中央を流れていました。

続きを読む

                        以前ののコラムはこちらから