07

5月

2010

『英語について』

 藤原正彦氏の『この国のけじめ』を読んだ。2006年発行
で、それ以前2年ほどのコラムがまとめられている。日本
が小泉改革に沸いていた頃だ。藤原氏の激憤杞憂は強い。

 どれも私にとっては、至極正論、「あぁ、この人の話がわ
かるくらいは勉強してきてよかった」と、自分で自分を褒
めたりしたが、『流暢と教養並び立たず』という英語につ
いての一文を特に広めたいと思ったので、一筆啓上。
 藤原氏は、『若き数学者のあめりか』という本を、30代
はじめに上梓している。アメリカで4年間を過ごした記録
で、私も文庫本になってすぐに読んでいる。「面白いなあ、
もっと書いてほしいなあ」と思った記憶がある。
 私は、元は英語専門学校であった大学で4年間学んでい
る。授業そっちのけで芝居にうつつを抜かしていたために、
よく卒業できたというレベルではあったが、門前の小僧な
んとやらで、英語というもの、アメリカという国がどうい
うものであるか、自分なりに理解はしている。
 藤原氏は『この国のけじめ』において、小学校にネイテ
ィヴの英語教育を、という流れに対して、「とんでもない
ことだ。日本語をまずはみっちりやってから」と主張して
いる。僣越ながら、私もまったく同感である。
 ついでに言えば、一口に英語というが、日本で言うそれ
は、アメリカ英語、米語である。
 以下、事例の羅列になるが、ご勘弁を。
 ずいぶん前になるが、シドニィ・シェルダンの原書を読
んだことがある。『超訳』という宣伝文句で、訳書が多く
読まれていたが、原書を読んで驚いた。「え? 超訳って、
つまり、米語を難しい日本語に訳したってこと?」
 それくらい平易な米語で書かれている。ハリー・ポッタ
ー(英語)の方がずーっっと語彙数が多い。だから売れた
のだろう。移民大国アメリカの識字率の低さは有名である。
だから、字幕の映画がアメリカでは受けない。
 村上春樹がかなり好きだ。デビュー当時からのおっかけ
である。翻訳も多くされていることからわかるように、文
語としての米語になじんでいらっしゃる。それで思うのだ
が、村上さんの文章には「上手い例え」が多い。逆に言え
ば、米語はそれだけ語彙が少ないのだ。日本語のように、
一つのことを5種類くらいのグラデーションで言うことは
ない。何かを繊細に伝えようとすれば、比喩や例えに頼る
他ないのだ。基本的には。(と注釈をつけるのは、P.オー
スターはその限りではないだろうと思うから。だって、読
めなかったもん。辞書を引く頻度が多すぎて。そのせいだ
ろう、彼は本国アメリカよりもドイツ、フランス、日本で
人気があるらしい)
 いかがだろうか。英語−米語は基本的には難しい言語で
はない。それなのに、なぜ、日本人にとっては難しいのか。
 それは、文の構造が違う点と、表現方法が違う点にある。
けっして発音だけにあるのではない。(同じインド・ヨー
ロッパ語族であるドイツ語、フランス語などは、基本的な
文の構造が同じ。あとは単語を覚えて、発音に慣れればい
いだけ。ずるい、と思ったものだ)
 文の構造が違い、表現方法(結論を先に言うことなど)
が違う言語を習得するということは、「別人格を身につけ
る」ということだと思う。(またまた卑近な例だが、大学
の時、飲みに行って酔っぱらうと、みんな米語でしゃべり
はじめたものだ。ほんと、あれは恥ずかしかった。。)
 「別人格を身につける」には「自分の人格を持って」い
なければならない。でないと、自分が誰だかわからなくな
る。以前にも書いたが、言語が人格を形成する。なぜなら、
人は考えることによって人格を形成し、考えるとは、必ず
言葉によるからだ。
 ガラにもなく、熱くなった。学術的に間違っている点も
あるかもしれない。しかし、言葉については、見過ごすこ
とはできない。
 ちなみに、発音。大人になっても大丈夫です。週3回、
LLのクラスで1年間みっちり、幼稚園児のごとく口の開
け方を真似して、劣等生でも「発音は綺麗」と言われるよ
うになりました。リスニング? いい音楽を聴いて、耳の
感度をよくすれば大丈夫。
 ねえ、みんな、もっと、大きな視野で考えようよ。