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5月

2010

『俯瞰、あるいはマクロ』

 俯瞰、というのは、映像の世界で割と使われる。高いと
ころから、言い換えれば神の視点で見ることだと思われる。
そして、私は、「俯瞰が出来ているようで出来てないんだ
よねー。不思議」と言われる。多分、地を這うように、平
面で公式を解いて解いて解き続けているからだろう、と自
分では思っている。

 マクロというのは、経済学で割と使われる用語で、マク
ロ経済、ミクロ経済と言われる。私はもちろん、ミクロ経
済の人間だ。雨が降り続きそうであれば、野菜が高くなる
からと気持ち急いで八百屋に行き、閉店間際に安くなる良
いものをゲットしては喜ぶ。マクロ経済は、円高がどうの、
株価指数がどうの、だから日本経済がどうの、という領域
らしい。だからどうなの? である、ミクロ経済学的人間
から見れば。
 とはいえ、歴史史観においては、俯瞰あるいはマクロ視
点でしか理解できない。私は地を這うように、知識を溜め
て溜めて、ふんころがしが玉にうっかり乗るように、よう
やく、少しだけ高いところから見ることができる。
 というわけで、戦争その他について。
 人に説明できるようになれば理解したという証拠。私の
トライアルである。しばし、お付き合いを。
 最も押さえておかなければならないポイントは、その時
代によって、枠組みが違う、ということだと思う。例えば、
西部開拓時代のアメリカ、世界のクロサワが描いた『七人
の侍』の時代の日本では、人間は、ふつーに死ぬ。当たり
前に死ぬ。死んだら悲しいのだが、あまりにもしょちゅう
なので、悲しさも中ぐらいなり、という感さえある。なに
しろ、大抵の重い病を直すだけの知識も技術もないし、特
定の階層が武器を振り回して闊歩している時代である。刀
で切られて、あるいは弾を撃たれて死ぬのではない、刀傷
や銃創が元で数日かかって死ぬのである。嫌な死に方だな
あ。あるいは、飢餓で死ぬのである、天候に恵まれなけれ
ば、ふつーに食べ物がないのである。どっちも嫌だなあ。
 ゲームの世界を例にとるとわかりやすいだろうか。ルー
ルが違うのである。敵対する隣村の人間が、あるいは原住
民が、ゾンビなのである。ゾンビだから、殺してもいい、
大体はそんな論理だ。
 太平洋戦争、あるいは大東亜戦争がなぜ、起こったのか。
これは、その当時の世界の枠組みが『植民地主義時代』 
『帝国主義時代』だったからに他ならない。国土が狭くて
鉱物資源に恵まれなかった日本は、隣の満州に目をつけた。
満州が欲しくて欲しくて、他の誰が何と言っても固執し続
けて、巻き込まれた戦争が、第二次世界大戦である。
 細かなことでは色々と言われている。日本のイケイケ状
態を危惧した米国がつきつけたハル・ノートが、到底、呑
めないものだったとか、宣戦布告なしで行われたがゆえに
卑怯者の代名詞となった真珠湾攻撃が、実は事前に、アメ
リカ側に暗号が解読されて知られていたけど、「それはそ
れでいーんじゃない? 日本が悪者になってさ」なんて感
じでスルーされたとか、日本はアメリカに宣戦布告してか
ら攻撃するタイム・スケジュールを組んでいたけど、おぽ
んちな職員たちのせいで書面としてタイプするのに時間を
食ってしまい、後手に回ったとか、山本五十六は開戦に反
対だったけど、奇襲攻撃によって早期打開ができたなら、
日本のダメージも少ないと踏んで、真珠湾攻撃に踏み切っ
たとか、ほんとにもう、盛り沢山なのである。
 この項、つづく。でも、多分、インターバルの後。クー
ルに見ようとしても、やはり、戦争は重いから。