02

6月

2010

『叱る?』

 名古屋では、有料駐輪場があちこちに出来ている。設備
投資費や管理費を併せると、1日100円では元がとれな
いと思うのだが、どんどん増えている。

 先日、駐輪場の金具で遊んでいる女児をみかけた。祖父
らしき男性が、「駄目だよ。余所の人に叱られるよ」と言
っていたが、女児は構わず遊んでいる。手をはさみかねな
いと思ったので、「危ないよ。やめなさい」と言ったら、
女児は、はっとした顔で私を見上げ、即効、引き上げ体制
に入った。「ほら、叱られた」と男性は言い、「ほら、じ
ゃねえだろ」と私は思ったが、男性が「ありがとうね」と
言うので、「いいえ」と愛想よく答えた。
 以前にも同じような状況があった。腑に落ちない。なぜ、
「余所の人に叱られる」のではなく、自分がストレートに
叱らないのか。
 私には、一人の妹と、四人の姪がいる。一番上は小学3
年生、一番下は1才と少し。妹も、昔は、子どもを叱らな
かった。そういう教育方針なのだそうだ。私が姪っこを叱
ると、あとで、「子どもが叱られると、自分が叱られてい
る気になる」とめそめそしていた。だが、その妹も、最近
では普通に、子どもに手を上げる(ふりをして脅す)。四
人もいると、「叱らない」なんて悠長なことは言っていら
れないのだろう、よいことだ。
 三番めが生まれる前に、我が家で一夏、一番めと二番め
を預かったことがある。生憎、私の仕事がたてこんでいた。
二階にある自室から階下に降りようとすると、階段の下で、
幼子たちが「もう、お仕事終わった?」と見上げるのだ。
切なくて、仕事がはかどった。そんな過去もあって、一番
めと二番めとは仲がいい。三番めは、「あのね、弥生ちゃ
んのこと、最後から二番めに嫌い」と言う。面白い。時々、
「あなたさ、私のこと嫌いでしょう?」と質問する。「う
ん、嫌い」と答えるので、二人でにこにこする。
 昔はよく、一番めを叱ったものだ。映画館に行った折、
併設のショップで彼女が物欲しげにし、「欲しいなー、い
いなー」と言い、私をこびた目で見たので、かちんと来た。
「あなたさー、私だから買ってくれると思ってるでしょ 
う? ママだったら言わないでしょう?」「…」「そうい
う(人を見る)考え方が嫌いだから、買わない」。当然、
泣いた。可哀相だったが、嫌なものは嫌だ。
 二番めがスーパーでごねて床にひっくり返ったこともあ
った。通りすがりのおばさんが「あらあら、どうしたの」
と声をかけても、私は「お構いなく」と答えて見下ろし続
けた。「そんなことをしても事態は何も変わらない。私を
なめるな」。そのうち、諦めて立ち上がった。
 一番めと二番めに教えた歌がある。水前寺清子の『36
5歩のマーチ』。「幸せは歩いてこない。だから歩いてい
くんだよ。一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がる」
実に含蓄に飛んでいる。もっと大きくなったら島倉千代子
の『人生いろいろ』を教えようと思っている。
 と、偉そうに叔母さんをしていたのだが、過日、3人を
連れて児童公園に行ったとき。私が煙草を吸おうとしたら、
一番めが走ってきて言った。
「弥生ちゃん、ここで煙草は駄目。ここは子どものための
公園だから。後でいっぱい吸わせてあげるから。わかっ 
た?」
「はい…」
 姪っ子育てで、一番、嬉しかった出来事だ。