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8月

2010

『終わらざる夏』

 本屋で10分ほど逡巡した結果、買った、浅田次郎の新刊
である。寡作の高村薫や村上春樹、松浦久輝は安心して買
えるが、多作の人は用心が必要だ。私の経験から言うと、
家を建てたあとが特にいけない。

 浅田次郎。私は、このおじさんがけっこう人として好き
だ。お坊ちゃん育ちで、親が事業に失敗して貧困へ、とい
う作家の王道(宮本輝氏もこの系統)を歩み、自衛隊に入
隊して国を憂い、そこからアパレルの世界に入り、有能な
営業マンとしてへらへら頭を下げながら、家に帰ればこつ
こつと、文机の前に正座して文学作品を筆写、苦節何年だ
ったのだろう。デビューの時は40才を過ぎていたはずだ。
 人間というものをたくさん見てきた人だけが書ける作品
群の中で、私は『蒼穹の昴』が好きだ。おいおいと泣いた。
当時はまだ存命だった父親に貸したら、「(歴史的な)嘘
ばっかで途中で嫌になった」と言われたが、それはそれ、
泣かせてくれる長い作品だったら何でもいいというところ
が、私にはある。
 二番めに好きなのは、初期の『金ぴかシリーズ』、お茶
目な極道さんたちが、極道のような婦長さんと繰り広げる
てんやわんや。つかこうへい氏のテイストに近いものがあ
る。他はそんなに好きではない。今、本棚を見たら、最近
のものは結構揃っていたが、「読み返したい」と思うほど
のものはない。私が、購入を躊躇った理由だ。
 『終わらざる夏』は、多分、読み返すだろう。
 とっつきが良い本ではない。戦争や軍隊に関するある程
度の知識が読み手に要求される。浅田氏お得意の人情は、
上下巻の上の部では、ほとんど封じられている。戦争の話
を本当に伝えようとしたら、これだけの前提が必要なのだ
とも言える。『終わらざる夏』では、終戦の前後に焦点が
絞られ、兵隊に行かされる者・兵隊に行かせる者、母親・
子ども、ソ連兵・日本民間人、教育、軍隊、故郷、様々な
視点から描かれている。
 昨年、縁あって半年近くを太平洋戦争の勉強に費やした。
サイパンという旧日本統治領の歴史をつかむためだったが、
付随して、軍部のあれこれも知ることになった。関連する
邦画もかなり見た。『硫黄島からの手紙』『父親たちの星
条旗』の二本立ても興味深かった。
 以前から抱いていた確信を強めた。「敗戦によって、日
本は、自らの歴史を分断した。教科書を墨塗りするように、
臭いものに蓋をした。それは、されるべきではなかったこ
とだ」と。
 戦争は描ききれない。しかし、浅田氏は最善の努力と、
長年の熱意によって、ある重要な一部分を描くことに成功
した。この、たった一つの作品が、戦争を知らずに知らさ
れずに育った私たちが、戦争を知るきっかけになればいい
と思う。あの戦争を知ることは、自分たち日本人が、本来
どういう国民性を持ち、どれほど愚かでまた強靱な精神を
持っていたのかを知ることだ。
 今朝、熱田神宮におさめる初穂料を預かりに、組内の各
家を回った。呉服屋さんで、「うちの店は熱田神宮にも縁
があるらしい」なんて聞いた。熱田神宮は、飛鳥時代から
あった。今もある、熱田神宮。歴史は終わらないし、分断
もされない。そろそろ、皆が気づいてもよい頃だ。