30

8月

2010

天竹神社の棉祖祭

天竹神社の棉祖祭    天竹町

 

 

 天竹神社の棉祖祭は、綿を伝えた新波陀神の祭礼で す。この祭りでは、海を渡って伝えられた綿にちなん で船みこしが担がれ、古式ゆかしい「綿打ち」の儀式 も行われます。

 


『日本後記」によると、延暦十八(七九九)年に昆崙人が綿の種を持って今の天竹町あたりに漂着し、 その種を最初にまいたとの伝説が書かれていることから、この地が木綿発祥の地とされました。そして、村の名 は天竺人からとって天竺(天竹)と名付けられたとも いわれています。

 綿神を紀る神社は全国的にも珍しいものであるため、 木綿関係の崇敬も深く、祭りは多くの人でにぎわいを みせています。

 

 

<文 松井直樹 絵 鳥山光><西尾百景は平成7年〜18年まで西尾広報に掲載されたものを再編集したものです> <にしおアートねっとでは、記事、画像について個人、美術館、博物館、他関連団体のご協力により掲載させて頂いています。著作権は当該団体に帰属していま すので、無断のダウンロードはお控えください>

掲載責任<ホーリー>

綿伝来の伝説  以下 wikipedia ジャンプ より出展<'10/8/30 、確認>

 

日本後紀、類聚国史、大日本史などに、以下のような内容の記述がある。

 

* 延暦18年(799年)、三河国幡豆郡(現在の矢作古川の河口付近)に1艘の小船が漂着した。その船には1人の若者がいたが、全く言葉が通じなかった。唐人は「彼は崑崙人だ。」と言ったという。

* この崑崙人は、布で背を覆い、ふんどしをつけ、左肩に袈裟に似た紺色の布を着けた服装であった。所持品は一弦琴と壺などであり、この壺に綿の種子が入っていた。

* 崑崙人はこの地に住み、住民に綿の栽培を伝えた。さらに、紀伊国、淡路国、阿波国、讃岐国、伊予国、土佐国、筑前国などでの栽培方法を伝えたのち、近江国国分寺で僧侶となったという。

* 崑崙人が漂着した地は、天竺と改称され、その後天竹となったという。

 

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