06

9月

2010

『ラジオドラマの世界』

 私が脚本家デビューしたのは、27才のとき、ラジオドラ
マが舞台である。拾ってくれたのは、今は「文学おたく友
だち」と成り果てている(?)T氏。だが、T氏は、名古
屋のラジオドラマの一時代を築いた偉人でもある。

 T氏の出自は、ご自身曰く、「三好の水呑み百姓」とい
うことで、「本が買えない暮らしだったから、本が大切で
大事で、今でも他人に本を貸すことができない」という吝
嗇ぶりである。本をまたいだりしたら激昂されそうな気が
する。だが、私はT氏のあの蔵書群を密かに狙っている。
 T氏が抜きんでて優れていたのは、ある手法を編み出し
たことにある。「ウィスパー」と、後進の我々は呼んでい
るが、具体的には、腹式呼吸の発声で囁くように台詞を言
うことだ。それはT氏の専売特許であり、余人をもってし
て真似しがたい演出手法だった。
 私は、ローカルの脚本家としては、環境にも恵まれ、比
較的悪くない道を歩いてきた。時々、寄り道迷い道しなが
らも、「T氏のラジオドラマの世界を受け継ぎたい」とい
う気持ちだけは強く持っていて、営業嫌いの私にしては多
大の努力をもってしてアピールもしてきた。
 今、10年以上かなわなかった「名古屋局のラジオドラ
マ」が、ようやく復活しようとしている。15年前に、「伊
佐治さん。これからドラマは冬の時代に入ります。なんと
か生き延びてください」と言って去っていったS氏が名古
屋に戻ってきたのだ。
 私はなんとか生き延びて、「おみやげ町娘隊」などをし
ているが、S氏もS氏で、宵まつりの出店の日にうっかり
遊びにきて、快く呼び込みの手伝いをしてくれたりしてい
る。辛いはずの創作現場も、二人でげらげら笑いながらや
っている。
 ふと、思う。「やはり、仕事は楽しくなくては」と。
 それはとても贅沢なことに違いないのだが、人に恵まれ
れば、それほど難しいことではない。「創る」ことは「楽
しい」ことなのだと、伝えていきたいと思う。
 「遊びせむとや生まれけり、戯れせんとや生まれけり」
色々と難しいことの多い世の中だが、地に足をつけつつ、
時々は地面から5センチくらい浮きつつ、やっていこうじ
ゃないか、と思う。
 ところで、私は、至極まっとうな常識人のつもりでいた
のだが、周囲の評価が違うことに最近になって気がついた。
いわゆる「天然キャラ」らしいのだ。私が「天然キャラ」
に分類されるような世の中もどうかと思うが。
 それに甘えないように、常識人としても、努力してゆき
たいと思う今日この頃である。